JR釜石線 岩手県 陸中大橋駅 2022年8月13日 2022年8月19日 貨物線の釜石東線として開業後、翌年の1945年(昭和20年)から旅客営業を開始した。1950年(昭和25年)に花巻から釜石までが全通したことにより、釜石線の駅となる。釜石鉱山の拠点としても賑わっていたが、現在は駅舎も撤去され、ホームに待合室があるのみ。構内には鉱石を貨車に積み込むためのホッパー跡が残り、当時の面影を残している。 基本情報 □路線 JR東日本 釜石線□開業 1944年(昭和19年) 開業□所在地 岩手県釜石市甲子町1-80□マップ □訪問年月 2021年9月 駅前の広場と駅ホームをつなぐ出入り口。駅構内へは、照明付きのゲートをくぐる ゲートをくぐる。ホームの向こうにホッパーの遺構が見えるが、上部が看板で隠されているので、ただのコンクリートの枠にしか見えない※当日雨が強く、レンズに曇りがあり写真の一部が不鮮明となっています 右手側(南方向)を見る。観光列車のSL銀河(上り)が行ってしまった後なので、当分次の列車はやってこない 左手側(北方向)を見る。この先に有名なオメガループがある(オメガループについては後述) 古レールで造られた車両止め。レールの内側に「1965」の文字が見える ☆クリックで拡大 道路側を振り返る。1996年(平成8年)頃まで残っていた駅舎は撤去され、現在は更地になり簡易駐車場として利用されている 再び、南方向を撮影。ここから4km弱南下した後、東方向(釜石方)に線路は続く ホームは1面2線。狭いホーム上に三角屋根の小さな待合室がある 待合室内部。木のベンチがあり、屋根の上部にあるステンドグラスから、光が差し込む 路線の愛称は「銀河ドリームライン」。釜石線の前身の一つ岩手軽便鉄道が、花巻市出身の宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」のモデルになったといわれている ホーム北側の先端まで来た。右手に見えるのがホッパーの遺構。正面には、オメガループにつながる第2大橋トンネルの抗口が見える こちらのホッパーは、ほぼ完全な形で見ることができる貴重な産業遺構だ。現役を退いて数十年たっているが、外観はまだしっかりしているように見える 陸中大橋駅(標高約252m)と花巻側隣駅の上有住(かみありす)駅(標高約396m)の高度差のため採用されたオメガループ。緑線が半径250mの第2大橋トンネルで、上有住から来た列車(赤矢印)は右手下方に並行する線路を眺めつつ、オメガループで一周して陸中大橋駅に到着する 地図:国土地理院より 駅の北側、徒歩10分程のところに、旧釜石鉱山事務所と選鉱所跡がある。有料の展示室もあるが、開館日などは要確認 駅の北端から南方向を撮影。木々で見えないが花巻に向かう列車はオメガループを抜けて、右手側(西方向)の少し高い位置を走行する 激しかった雨も少し小ぶりになってきた トラックや工事車両が見える場所が、かつて駅舎があったところ 2014年に駅名標デザインが刷新された。宮沢賢治が作品によくエスペラント語を用いていたことから、各駅にはエスペラント語の別名がつけられている。陸中大橋駅は、鉱石を意味する「ミナージョ」 駅前にあったレンガ造りの倉庫。イギリス積みなので、これも相当古いものと思われる 岩手交通の路線バス。釜石方には、平日なら1日7本ほどのバスがある